1995年

お久しぶりです。
かなり長い間更新せずにいましたが、その間に色々なことがありました。
去年の秋ごろからこのブログの存在すら忘れ去るくらいものすごく忙しくなり、今は何故か海外で生活することになっています。

今回、なんでいきなり更新するのか。
敢えてこの時期に更新するわけですから、もちろん間接的に東日本大震災に触発されています。
正直、Twitterでつぶやいてもいいのですが、海外にいる私が自分語りのようなつぶやきを連投するのはふさわしくない気がしたので、誰も見ていないであろうここにメモ的に書きつけておきます。


今回の記事は1995年と今現在2011年についてバールで食事をしながら考えていたことについて書いてみます。


これまで何度か1995年についてTwitter上でつぶやいたことがありましたが、私にとって95年は何かが終わった感がありながら、何が終わったのか分からないような年でした。
もしかしたら一世代上の方々はベルリンの壁崩壊やソ連の解体の方がインパクトが強かったりするのかもしれませんが、私にとっては「1995年」という年は何か決定的なインパクトのあった年でした。


1991年にバブルが崩壊して不況に突入していったわけですが1994年まではまだ希望が残っていたように思えます。そうした希望がいっきに崩壊することになったのが1995年だった。そんな感じに記憶しています。
まだ幼かった私はこれで「世界」が終わるのだろうと思いました。周囲の雰囲気も暗い感じだったので、そう思えただけなのかもしれません。


でも、実際には終わらなかった。徐々に終わりの方に進んでいる感覚はありながらもそのまま日常は続いて行ったわけです。こんな感じで「終わり」の予感を包み隠すかのように1995年は忘れ去られていきました。
日本は衰退している、このままだと危ないと言われ続けながらもいっこうに終わりを迎えることなく世界は廻り続け、気付けば21世紀。2001年の9.11は私にとってはそれほどの衝撃にはなりませんでした。純粋に距離的な問題もあったのでしょうし、この頃の私がお気楽すぎたというのもあったのだと思います。
でも、多分それ以上に「世界は廻っていくのだ」という感覚が強かったのだと思います。
そんな感じで緩く蝕まれながらも日々は続いていき、今に至っている感じがします。


2011年は95年以上に断絶感をもたらす年になるのでしょう。日本全体にとっても私にとっても。
これによって「世界」がどう変わるのかは分かりませんが、私も含めて多くの人たちに影響を与えることにはなると思います。生活だけではなく精神的にも。
95年以降の私はひたすら「優等生」であることを求め続けました。そうしなければ生きていけないと思ったからです。そのころの私に出来たのはそれぐらいだったので。まさに「逃げちゃだめだ」という感じだったのでしょう。
同世代の人たちも発露の仕方の違いはあるものの、何らかの形で95年の断絶からの影響を受けたのではないかと思います。
今、10代の子たちは今回の巨大な断絶感をどう受け止めるのか。それがどういう影響を与えるのか。まだ分からないことだらけですが、少なくともそれぞれの心性に何らかの影響を与えることになると思います。
ここ数年、ネット上だけではありますが付き合いのある10代の子がいます。この子は東北に住んでいるわけではないので、直接的に被害を受けたわけではないのですが、日常が壊れていくさまを見てかなりセンシティブになっている感じです。
多分、95年のころの私が感じたような「終わった」感を感じているのでしょう。一概に同じであるとは言えませんが、断絶感のようなものはあるのだと思います。緩く蝕まれながらもひたすら続く日常の中で育ってきた子でしょうから。


この断絶はもちろんマクロな部分にも大きな影響を与えることでしょう。その上で個々人の心性のようなミクロな部分への影響もかなりのものだと思います。
そのような影響が今後のどんな結果につながっていくのか分かりません。ただそうした影響下で紡がれていくモノを見守ってみたいと思います。