『クォンタム・ファミリーズ』感想

あっという間に2月も終わりましたね。
大分暖かくなってきました。
花粉が飛び始めているようで鼻炎がひどいですが、気候的にはいい感じになってきてます。
今のうちに色々やるべき事をこなしておきたいものです。

さて、大分遅くなりましたが今回は東浩紀クォンタム・ファミリーズ』(以下、QF)の感想を書いていきたいと思います。
(以下、ネタバレ注意!)


QFは並行世界を舞台にした、出会うはずのない「家族」の物語です。
これだけを聞くとよくあるSF設定に聞こえますが、この作品を面白いものにしているのが「量子脳計算機革命」によりインターネットが爆発的に進化し、並行世界が相互干渉可能になったという設定です。
インターネットが普及してきた現在だからこそのリアリティを提示していると思います。


まず大枠の話ですが、今回読み終わって感想というかメモを残しておきたいと思った最大の理由はこの作品の「リンク」の凄さです。
まずはよく言われていることなので今更書くことでもないかもしれないのですが、Key作品を初めとする美少女ゲームやアニメとのリンクです。
例えばKey作品のAirCLANNADリトルバスターズの登場人物の名前とQFの登場人物の名前はリンクしています(風子、渚、理樹、往人、など)。
ナデシコともリンクしていたのには正直驚きましたw(友梨花ミスマル・ユリカ*1
私が気づいていないだけで、他にもアニメや美少女ゲームとのリンクは多数貼られていると思います。


こうしたリンクはアニメや美少女ゲームだけに貼られているわけではありません。
何度も出てくる村上春樹はもちろんのこと、P. K. ディックや舞城王太郎ともリンクが貼られています。
現代思想に関しても、デリダラカンも現れてきます。(老教授のくだりは吹きましたw)
デリダに関しては「幽霊」や「手紙」の話で切れそうですが、少し荷が思いので割愛w
このままリンクの話をすることで醸し出される気もしますしね。


ここにあげたもの以外にも沢山のリンクが貼られていることと思います。
twitterやネット上を検索してみればそうしたリンクに引っ掛かった人が沢山感想を書いているので見てみるとリンクの多さに驚くと思います。


読者の読書体験、文化圏等々によってどういったリンクに反応するか(気付くか)は全く違ったものになります。
ある特定の立場からの読みを拒否するかのように、島宇宙を横断する形でリンクを貼り巡らされています。
ただ文章がうまいだけではここまでのものは書けません。
この作品は東さんの幅広い教養に支えられることで、ネット世界を体現したかのようにリンクの貼り巡らされた作品に仕上がっていると思います。


リンクを貼る作品としては田中康夫『なんとなく、クリスタル』や田中ロミオ最果てのイマ』(Xuse)を思い出したりしますが、この二作品とQFではリンクの有り様が違っています。
『なんとなく、クリスタル』と『最果てのイマ』はリンクを誰でも分かるように、誰でも読み取れる形で提示しています。
両者ともリンクは固定されているのです。
それに対してQFのリンクは明示されていません。
リンクが固定されていない分、その読み取り方はそれぞれの読者に委ねられます。
それによって、作品の外部に無数のテクストの広がりを感じざるを得ないわけです*2


また、リンクの在り方として『らき☆すた』などのアニメ作品のパロディなども思い浮かぶかもしれません。
しかし、『らき☆すた』などのリンクの貼り方は非常に限定的なものです。
つまり『らき☆すた』を見るよう視聴者層を対象としたリンクであり、それはオタクたちのコミュニティを超えていくようなものではありません。
アニメ作品なので視聴者をある程度限定するのは当然のことではありますが。
QFのリンクも読み取れる人しか反応出来ないという部分は同じです。
しかし、リンクの貼り方がハンパないのです。
SF好き、美少女ゲーム好き、アニメ好き、現代思想好き、東浩紀好き…
QFのリンクは幅広い層を想定しています。
東さん本人がtwitter上で述べているように、まさに「マッドSF」*3だと思います。


そして、幅広いリンクを貼った結果、多分意図しない形でリンクがさらに広がっているように思えます。
例えば、高橋源一郎さんと阿部和重さんのQF読了時のツィートにそうした意図せぬリンクの広がりが端的に現れています。


高橋源一郎
「(過剰に)物語ろうとする欲望と、それに相反する(過剰に)批評的であろうとする意志に、引き裂かれそうになりながら、小説は書かれる。だから、『クォンタム・ファ ミリーズ』は理想的な小説というべきだろう。それにしても、困ったことが(少なくとも)一つある。四月に出るぼくの新作に似てる……。」
「ぼくの『悪と戦う』(という作品)も、「並行世界」の物語で、主人公の「存在しなかった」「××」と「××」が、ある世界に介入して、主人公を救い、世界の破滅を 回避させるのだ。でも、偶然の一致ではないような気がする。「歴史」が終わったと感じられた後に書かれる小説はこうなるのかもしれない。」*4

阿部和重
「そうした印象のほかにも、わたくしはいろいろと感ずることがありましたけれども、とりわけ強く実感させられましたのは、拙作『ピストルズ』との驚くほどの内容上のシンクロ度合いでした。」
「ネタバレになりますので、具体的にどのあたりが、とはここには書きませんけれども、もしかすればそれは、フィリップ・K・ディックの「幽霊」がひきおこした現象なのかもしれません。」*5


両氏とも自身の著作とのシンクロ具合に言及しています。
「並行世界」を扱った作品がある程度シンクロしてくるのは当然かもしれませんし、「たまたま」そうなることもあるかもしれません。
しかし、QFがテクスト同士のリンクという性質を意図的に前面に出していることを考慮するならば、単なる偶然というわけでもないでしょう。
この作品を読むとき、読者は他のテクストとのリンクを意識せざるをえないのではないかと思うわけです。


作品の世界観に引き込まれ、その中で主人公と同一化していくのがある意味で一般的な小説の読み方なのかもしれませんが、QFはそうした閉鎖的な読みがしにくい構造になっているように思えます。
読者を作品世界に閉じ込めるのではなく、膨大なテクストに開放していく。
東さんがこれまで述べてきた「データーベース」や「郵便」といった概念を徹底的に突き詰めた結果、作り上げられたのがこのQFという作品だと言えるのではないでしょうか*6


ここまで大枠について述べてきましたが、内容の方にも少し触れておきます。
正直、大枠について考えただけで頭がヒートアップしてきているので、内容について細かく読み込むような余裕はないです;;
ここまでこの記事を読んでくださった方には、文章の錯綜具合で私の混乱状態は分かってもらえることと思いますw
ですので、ここでは一番気になったことをさくっと書いておきます。


この作品では並行世界はリンクし、本来別々の物語を生きたはずの「家族」が結びついていきます。
私自身が印象に残っているのは第一部の後半の風子と第二部後半の往人の決断です。


第一部後半で風子は以下のように述べています。

「貫世界通信は別の人生を夢見るためにあってはならない。この人生を肯定するために使わなければならない。」(237頁)

現在の人生に対して「こうあるべき、このあり方が全て」という見方は視野を狭くし、自身を苦しめることになりますが、他方で別の人生、外部のユートピアを夢見続けるのは同じくらいナンセンスです。
ここでの風子は多様な可能性を認めながらも、外部ばかりを見るのではなく内部(この人生)を肯定するあり方を是としています。


これが第一部での風子が辿りついた結論なのですが、それを受けて第二部ラストでの往人の決断をどう考えるべきなのか…
「世界の終わり」という結末とその救済という運命の円環を物語る存在、それを噛み砕くとは何を意味しているのでしょうか…
難しいですが、これは先の風子の思考を受けて考えるならば「別様にあり得たかもしれない可能性」を噛み砕くということなのでしょう。
そして往人自身が述べているように、可能性を噛み砕いた上で「この滅びゆく偽物の世界を肯定」するというメッセージがここに込められているのだと思います。
往人の決断は、どこまでも付きまとう可能性という亡霊から解放された上で、このどうしようもない世界で生きていくということなのでしょう。
こうしたメッセージは「物語外2」でのゲームをプレイし続けるためにリセットボタンに手をかけていなければならないとする往人の決意にも現れているのではないでしょうか。


QF感想は以上です。
今回の記事は本当に手こずりました。。。w
私自身のボキャブラリでは語りつくせないほどの著作でしたので、なかなかその面白さを適切に表現出来ない自分に歯痒くなりながら書いてました。
大枠は置いておくにしても、内容に関してはもう一度読み直したら、もっと発見がある気がします。
でも、力尽きましたのでとりあえず今回はこんなところで締めておきますw
次回の更新はいつになるかは分かりませんが、いくつか読みかけの本があるのでその感想を書こうかと思っています。
ではではーノシ

クォンタム・ファミリーズ

クォンタム・ファミリーズ

*1:http://twitter.com/hazuma/status/8963795660

*2:テクストである以上、外部のテクストとのリンクはある意味当然です。しかしQFではその特質を意図的に前面に出しているように思えるのです。

*3:http://twitter.com/hazuma/status/5785663813

*4:http://twitter.com/takagengen/status/7306713651http://twitter.com/takagengen/status/7306840451

*5:http://twitter.com/sin_semillas/status/7203140856http://twitter.com/sin_semillas/status/7203148727

*6:もしかしたら、私自身がデーターベース消費という在り方には慣らされてしまっているために、こうした読みをしてしまうのかもしれません。そう考えるなら、QFは東さんの「データベース」や「ゲーム的リアリズム」という概念の妥当性を証明するものになっているのかもしれないです。